VRの歴史 2

2016年7月27日

前回コラムでは1970年代までのVRの歴史をお伝えしましたが、今回は1980年以降のトレンドを主要人物の紹介も交えながら辿っていきます。

54018554 - two business persons are developing a project using virtual reality goggles. the concept of technologies of the future

 1982年、デジタルエンターテイメントの未来を創造する目的で、The ATARI Sunnyvale Research Laboratoryが設立されました。ATARIはアメリカで1972年に創業された、当時としては世界初のビデオゲーム制作会社です。責任者はAlan Kay(最近までXeroxのパロアルトResearch Centerに在籍、コンピューターサイエンティストとして有名)が務めましたが、1980年代にビデオゲーム業界を震撼させた”Atari Crash”(家庭用ゲーム機市場の急速な衰退)によって、わずか2年足らずでその歴史の幕を閉じました。当時、この会社にはその後のVRの発展に大きな貢献をもたらす人々、Jaron LanierやThomas Zimmerman、Scott Fisherが在籍していました。

 ”Atari Crash”後、前回のコラムでもご紹介したAspen Movie Mapの開発メンバーであるScott Fisherは、NASA Ames Research Centerに勤務しAtariで培った技術を用いて1985年に広角視野のヘッドマウント型(HM)ディスプレイの設計に従事しました。

 一方、Jaron LanierとThomas Zimmermanは1985年にVPL Researchを創業(VPLはVirtual Programming Languageの略)し、Jaron Lanierが”Virtual Reality(VR)”という現在では当たり前のように利用する造語をここで作り上げました。VPLは前述のNASA Amesとのジョイントプロジェクトにて、VPLが開発中だったセンサー内蔵手袋”Data Glove”(装着した人の動きをトラッキングしてワイヤーで繋がれたコンピューターへその情報を伝達させバーチャルに表現する)とNASAのHMディスプレイを組み合わせて一体とした世界初のVRシステムを商業販売し、VR haptics(触覚)分野の発展に大きく寄与することになりました。

 1989年には任天堂ファミリーコンピューターのコントローラーアクセサリ製品として”Power Glove”が発売されました(正し、任天堂自体はこの製品のデザイン設計やリリースに関わってはいません)。Power Gloveは先ほどのData Gloveの技術がベースとなって派生したもので、価格も大幅に下がりリリースできたことで、アメリカでは約10万台が売られました。しかしながら、その使いにくさと利用可能ソフトの少なさから商業的にはわずか1年足らずで終了してしまいました。商業的な成功は収めることはできませんでしたが、Power GloveはVRが家庭に浸透した初めての製品であり、今でもギーク(コンピュータ等の特定の分野で卓越した知識がある意のアメリカの俗語)の間では根強い支持があると言われています。

 1991年にはイギリスのVRエンターテイメント企業Virtuality GroupがVRアーケードゲームを開発し、一躍脚光を浴びました。ロンドンでの初お披露目の展示会では、展示場のビルがぐるりと人の列で囲まれるほど注目を浴びていたと言われています。1992年に上映された”The Lawnmower Man(邦題:バーチャルウォーズ)”はVirtual Realityのコンセプトを世の中に広めた映画で、ピアース・ブロスナン演じるキャラクターはVPLのJaron Lanierが元になっていると言われており、映像の中では実際のVPLの製品も登場しています。

参考動画リンク: The Lawnmower Man trailer(バーチャル・ウォーズ予告)

それだけ当時はVirtual Realityに対するイメージが一般の人々にも浸透した頃であったため、Virtualityが発売したアーケード製品もゲームセンターに続々と設置され、その後セガやATARIとも提携し販路の拡大に努めました。しかしその筐体がとても高価であったことや、実装されていたゲームソフトが粗雑なものであったことから、次第にユーザーの熱も冷めてしまい、Virtuality Groupは1997年に破産しています。

 また1993年にはセガがVRヘッドセットをCESで発表しましたが、発売間近になり技術的な課題からプロトタイプ止まりでリリースを中止し頓挫、1995年には任天堂がVirtual Boyを発売しますが、読者には記憶にあるかと思われますがこれも不振に終わりました。

このように1990年代初頭から数々のVR製品が世に放たれてきましたが、いずれも商業的な成功を収めることができず各ゲーム会社は辛酸をなめるに至りました。また、VRが一気に成長しなかった原因として挙がる理由の一つが、「バーチャル中毒」というものでした。人々はVRゲームが家庭に浸透すると、そのバーチャルで快適な空間に居続けたいと思うに違いないとVRの利用を危惧し始めました。その結果、当時ソニーもHM型ディスプレイを開発していましたが、リリースを見送った経緯があります。

 VRゲームのブームとしてはここで一旦終息しましたが、それに取って代わるように世間の注目を集めたのがthe Internetとthe World Wide Webです。インターネットの急速な普及による現在に至るまでのITテクノロジーの発展はここでは述べませんが、それ以降、VRはインターネットの後塵を拝し“VR冬の時代”に突入します。VRは軍事利用目的としては引き続きその有効性から活用されていましたが、ゲームにおいてはバーチャルリアリティという言葉はほぼ死語となり、3Dグラフィックという形で一部のコンセプトを継承しました。

 その後、2012年に若き起業家のPalmer LuckeyがOculus RiftというVRヘッドセットをわずか$300の価格で販売します。Oculus Riftは2014年にFacebookによって$2billionで買収されたことは記憶に新しいと思います。2000年代初頭は影を潜めたVRですが、その頃のSkip RizzoやMark Bolasの研究がOculus Riftを完成させるための土台としてなくてはならないものでした。両名ともUniversity of Southern California(USC)のInstitute for Creative Technologies(ICT)に在籍し、Skip RizzoはPTSDのリハビリとしてVRを活用する研究を、Mark BolasはOculus Riftで使われた多くの主要技術をオープンソースで当時公開していたそうです。Luckeyもインタビューで彼らから大いに勉強し刺激を受けたと語っています。

 それからはご存知の通り、GoogleがGoogle VRとしてスマホを利用したVR Cardboardを販売、MicrosoftやSamsungなどの大企業も続々と製品を発表し、ソニーもこの2016年に新製品をリリースする予定で、今年はVRが再び大ブレイクすると言われています。しかしながら、最近のVRブームの兆しがゲームを主軸に展開されていることから、「20年前のVRブームとそっくりであり楽観はできない」と一部のVR有識者に不安視されています。VRが世の中の人々に真に役立つ技術として信頼を得て普及するには、ゲーム(エンターテイメント)以外の分野、例えば教育現場や医療現場での活用が鍵となるかもしれず、これからのVRの展開に期待がかかります。